米離れが進むと、日本の何がなくなるのか――稲作から考える日本の文化と国土

  • URLをコピーしました!

「日本の米」という本をご存じでしょうか。富山和子さんの著書です。

私がこの本を読んだとき、大変驚きました。

それは、「日本の米はおいしい」「日本人にとって米は大切な主食だ」といった、いわゆる米文化を紹介する本ではなく、この本が描いているのは、米を中心として、日本人がどのように日本という国土と文化をつくってきたのか——その問いに真正面から向き合った本だったです。

米食が、米作りが日本を数百年、千年単位で形作ってきたのだ、と読了後に感じました。

日本人は米を作るために水田をつくり、田んぼに水を引くために水路をつくり、水を確保するためにため池をつくり、川を治め、山や森林とも深く関わってきました。田植えや稲刈りという一人ではできない仕事には、「結(ゆい)」と呼ばれる助け合いの仕組みが生まれました。米が税として納められるようになると、土地を測り、収穫を記録し、計算する必要も生じ、その結果、農民を含め読み書きが当たり前となっていきました。

米を作ることは、単なる食料生産ではありませんでした。水、土木、森林、村落、共同体、制度、教育、祭り、信仰、そして国家——日本のさまざまなものが、米を中心につながっていたのです。「日本の米」という本は、米の本ではなく、日本という国そのものについて書かれた本であり、副題の「環境と文化はかく作られた」という言葉がしっくりきます。

今日はこの米のこれまでの役割と、将来の危惧について紹介したいと思います。


目次

米作りが、日本の国土をつくった

米作りには水が必要です。しかし、必要なときに必要なだけ水が来てくれるとは限りません。そこで人々は水路をつくり、ため池をつくり、川を管理してきました。山に降った雨を土壌が受け止め、川へ流し、水田へと運ぶ。水田は単なる「米を作る場所」にとどまらず、日本の水循環そのものの一部でもありました。

そのためには水路の掃除が必要で、堤防やため池の管理も必要で、農地の周辺も手入れしなければなりません。米作りを続けるためには、人間が自然に手を入れ、地域全体で国土を管理する必要があったのです。

しかもその仕事は、一人ではできません。隣の田んぼにも水が届かなければならない。上流と下流で水を分け合わなければならない。田植えや収穫の時期を合わせなければならない。だから人々が協力する仕組みが生まれ、「結」という文化へとつながっていきます。

日本の農村共同体が生まれた理由は、単に「日本人が仲良くするのが好きだったから」ではないのかもしれません。米を作るという生産活動そのものが、人と人との協力を必要としていた。その積み重ねが、日本人の社会のあり方に深く影響したのではないでしょうか。


稲作は「みんなで協力する文化」を生んだのか

このことを考えるうえで、興味深い研究があります。世界には米を中心とする稲作文化の地域がある一方、小麦などの畑作を中心としてきた地域、牧畜を中心としてきた地域があります。農業の方法の違いが人間関係や社会のあり方に影響する可能性については、今日でも研究が続けられています。

特に水田稲作では、灌漑用水を共同で管理する必要があります。自分の田んぼだけをきちんと管理していればよい、というわけにはいきません。上流と下流の人が協力しなければならず、田植えの時期を合わせなければならず、水を勝手に独占することもできない。「自分だけがきちんとしていればいい」という発想では成り立たない社会が、稲作によって育まれてきた側面があります。

一方で、小麦などの畑作は、もちろん多くの労働を必要としますが、水田ほど大規模な水利の共同管理を必要としない場合があります。稲作地域では相互依存や集団志向が強くなりやすく、畑作地域ではより個人の自律性を重視する傾向が生まれやすいのではないかという視点は、あくまで一つの仮説に過ぎません。文化を形づくる要素は国家制度・宗教・戦争・都市化・教育など無数にあります。それでも、人間が何を作って生きてきたのかが、社会のあり方に影響するという視点は、日本を考えるときに無視できないものを含んでいます。


雨を願い、豊作を祝い、祭りが生まれる

米作りを考えるとき、忘れてはならないのが「雨」の存在です。稲にとって水は生命そのもの。しかし、雨が降らなければ干ばつになり、降りすぎれば洪水になり、台風が来れば稲が倒れることもある。米の収穫は、人間の力だけではどうにもならない自然の力に大きく左右されていました。

今年、米が実るのかどうか——それはそのまま、人々が生きていけるのかという問題でした。だから人々は祈りました。雨が降るように祈り、稲が育つように願い、収穫できれば神に感謝する。その祈りと感謝が、地域の「祭り」へと結びついていきます。春に豊作を祈り、夏に稲の成長を願い、秋に収穫を祝い、神に新穀を供える。現在でも日本各地の祭りに農耕儀礼の名残が色濃く残っているのは、そのためです。

祭りは単なる「昔から続く地域行事」ではありません。その根底には、「今年も米が無事に実りますように」という、日本人の切実な祈りがあったのです。


神社と米、そして天皇

そこから、神社と稲作の深い関係も見えてきます。もちろん日本の神社のすべてを稲作で説明することはできません。山の神、海の神、祖先信仰など、日本の信仰にはさまざまな要素があります。それでも、春に豊作を祈り、秋に収穫を感謝し、新しい米を神に供え、地域の人々が集まって祭りを行うという形は、神社と稲作の切り離せない関係を示しています。

さらに興味深いのは、この考え方が村の祭りにとどまらず、国家のレベルへもつながっていったことです。

ここは非常に慎重に考える必要があります。「稲作が始まったから天皇が生まれた」と単純に言うことはできません。日本の王権の成立には、政治・軍事・交易・豪族間の関係など、さまざまな背景がありました。しかし、日本の王権と稲作・豊穣の祭祀が深く結びついてきたことは、見落とせない事実です。

その象徴が、新嘗祭と大嘗祭です。天皇がその年に収穫された新穀を神々に供え、自らも食し、国家と国民の安寧、五穀豊穣を祈る。即位した天皇が一世に一度行う大嘗祭も、稲作農耕社会に伝承されてきた収穫儀礼に根ざしているとされています。

現代の日本で、天皇は政治を行う存在ではありません。それでも皇室の祭祀の中には、「その年に実った米を神に供え、豊作と国民の安寧を祈る」という非常に古い形が今も残っています。日本の神話から古代国家、そして現代に至るまでの長い歴史の中に、稲作と豊穣を祈るという一本の糸が流れているように見えてきます。


では今、米が減っていくと何が起こるのか

現在の日本に話を戻しましょう。

日本では長年にわたって米の消費量が減少してきました。パンや麺など小麦を使った食品が食卓に増え、令和6年から7年にかけての「令和の米騒動」では価格が大きく上昇し、米の代わりになる主食へと切り替えた人も少なくありませんでした。一度「米を食べなくても生活できる」という経験をすれば、価格が落ち着いたとしても、以前の食生活に完全には戻らない人が出てくるかもしれません。

しかし私が心配しているのは、食卓から米が減ることだけではありません。今後、誰が米を作るのか、ということです。


「今の代まで」という現実

日本の米作りは、高齢の農家や兼業農家によって長く支えられてきました。しかし農家も年を取り、後継者がいなければいつか農業をやめることになります。米作りは労力に見合った収入はなく、義務感や米作りで日本を支える気持ちで続けていただいている農家さんばかりです。農村では「今の代までかな」、「今持っているトラクターが壊れるまではやる」という言葉を聞くことがあります。高齢化が進み、米作りをしても生活できないため子供には継いでくれと言えないための、とても現実的な言葉です。

田んぼを持っているだけでは米は作れません。農機具が必要で、水路の管理が必要で、草刈りが必要で、共同作業への参加が必要で、そして何より農業をする人が必要です。一人、また一人と農家がやめていけば、やがて地域全体の水田を維持すること自体が難しくなっていきます。


水田がなくなったら、何がなくなるのか

米がなくなると、何がなくなるのでしょうか。もちろんまずは米そのものです。しかしそれだけではありません。

水田が減れば、水田と一体になっていた水路やため池の維持も難しくなるかもしれません。農村の共同作業も減り、田植えや収穫を軸とした季節の感覚も変わるかもしれない。農村の祭りの担い手が減り、神社の氏子も減り、祭りが簡略化されたりなくなったりする地域も出てくるかもしれません。

「米を食べなくなったから神社を大切にしなくなる」という単純な因果関係ではありません。しかし、米を中心とした生活が失われていけば、米とともに育まれてきた文化との接点やその背景への理解も少しずつ失われていくのではないか——私はそう心配しています。


文化は、ある日突然なくなるわけではない

文化が失われるとき、それは突然起きるのではありません。一人の農家がやめ、水路の掃除をする人が一人減り、祭りの担い手が一人減り、氏子が減り、田んぼが一枚また一枚と使われなくなる。そうした小さな変化が何十年も積み重なったとき、「気がついたら、昔とはずいぶん違う日本になっていた」ということが、十分にあり得るのではないでしょうか。

私がときどき感じるのは、「日本は徐々に日本ではなくなっていくのではないか」という感覚です。日本列島も、日本語も、日本という国家も残るでしょう。そうではなく、日本人が何千年もの間、自然と付き合いながら作ってきた「日本らしさ」が、少しずつ別のものに置き換わっていくのではないか、ということです。

昨今の外国人問題もありますが、日本の米離れも日本が日本で亡くなっていく1つの理由になるのではと危惧しています。


日本の文化をつないできた「一本の糸」

米を作る。水が必要になる。水路やため池をつくる。人々が協力する。「結」のような共同体が生まれる。豊作を願う。農耕儀礼が生まれる。祭りが生まれる。神社と地域社会が結びつく。収穫した米を神に供える。国家レベルでも五穀豊穣を祈る。天皇の祭祀にも稲作と収穫の文化が残る。

もちろんこれは、日本の歴史を一本の線で説明しようとするものではありません。海の文化、山の文化、大陸から伝わった文化、仏教、儒教、さまざまな地域文化など、日本文化には無数の要素があります。それでも、稲作というものが日本の自然・社会・文化・信仰・国家をつなぐ重要な一本の糸だったことは、こうして並べてみると自ずと見えてくるように思います。


一日一食、米を食べる

では、私に何ができるのか。正直に言えば、一人の人間にできることは限られています。

私一人が米を食べたからといって、日本の稲作を守れるわけではありません。農家の後継者問題を解決することも、農政を変えることも、できません。

それでも、一つだけ続けようと思っているのは、「一日一食は米を食べる」、ということです。それだけです。でも、その一食を大切にしたいと思っています。

その一杯のご飯の向こう側には、田んぼがあり、水があり、水路があり、山があり、農家があります。長い年月をかけてその土地で暮らしてきた人々の歴史があります。祭りがあり、神社があり、季節があり、日本人が自然と付き合いながら築いてきた文化があります。毎日の食事のたびにそこまで考える必要はありません。でも、ときどき思い出したいと思うのです。私たちが食べている米は、単なる食料ではない、と。


一杯のご飯から考える、日本のこれから

もしかすると、何十年か先の日本では、「昔の人は米を主食として毎日食べていたんだよ」と子どもに語る時代が来るかもしれません。食べ物の好みは変わり、生活も変わり、文化も変わる。それは時代の流れかもしれません。

しかし、その変化の先にあるものを、一度立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。米が減り、稲作が減り、水田が減り、農村が変わり、共同体が変わり、祭りが変わり、神社との関わりが変わり、自然との付き合い方が変わる。気がついたときに、私たちが「日本らしい」と思っていたもののいくつかが、いつの間にか失われていた——そんなことにならないでしょうか。

「日本の米」という本を読んで以来、私は一杯のご飯を見る目が変わりました。田んぼ、水、川、山、農家、村、結、祭り、神社、そして長い日本の歴史——米は、日本人が何千年もかけて自然と付き合い、土地をつくり、社会をつくり、文化をつくってきた、その一つの象徴なのかもしれません。

米を守ることを、昔ながらの食文化を守ることだけとは思いたくありません。日本の自然と文化を、これからどう次の世代につないでいくのか——その問いの中に、米の問題もあるのだと思っています。

今日も私は、ご飯を食べようと思います。そしてその一膳をいただきながら、この米がなくなったとき、日本から何が一緒になくなるのだろう、とときどき考えてみたいと思います。

よかったらシェアください!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次