水道の仕事をしていると、「水源をどう守るか」という問いに向き合う場面が何度もあります。水がなければ水道は成り立たない。これは当たり前のことですが、山間部の小さな水道に関わるようになってから、その当たり前の言葉の重さを、以前とは違う形で実感するようになりました。
雨が降らなければ水は減ります。大雨が降れば、今度は濁水や土砂災害が心配になります。水源となっている山が荒れれば、水量や水質にも影響するかもしれない。そうした現実を肌で感じるようになると、私の中にはいつの間にか「水を守るなら、森を守らなければならない」という考えが育っていました。もっと言えば、「水源を守るためには、森林を育て、できれば増やしていけばいい」と、今思えばかなり単純に考えていたのだと思います。
その考えに大きな影響を与えたのが、富山和子さんの著作でした。『水と緑と土』などを読んで、日本の水循環を考えるうえで、森林や水田、土、そして人間の営みがどれほど深く絡み合っているかを知りました。森を育てることが水を育てることにつながる。森を育てることが、遠く離れた海を豊かにすることにもつながる。そうした話に強く惹かれ、私はすっかり「森林を守り育てることが、水を守ることだ」という考えの持ち主になっていました。
今でも、その考えを否定するつもりはありません。ただ、最近になって、少しだけ見方が変わってきました。
水源の山で見た、2019年の爪痕
私が支援者として関わっている千葉県の山間部に、小さな集落の水道があります。そこには三つの水源があり、冬になると雨が少なくなって水量が厳しくなるという特徴があります。以前は、三つある水源のうち二つを使えば、ぎりぎり冬を乗り切ることができていました。三つ目の水源を使うこともありましたが、それは「念のため」という位置づけでした。
ところが、2019年以降、状況が変わりました。冬になると、三つ目の水源を使うことがほぼ必須になったのです。それでも年末年始には残っている貯水量をオンラインで確認しながら、「このまま足りるだろうか」「この冬を乗り切れるだろうか」と、ひやひやしながら見守る状態が続きます。
私は支援者なので、日々現場にいるわけではありません。ですから「2019年の災害によって水源流量が減った」と断定する立場にはありません。しかし、2019年を境に水源の状況が大きく変わったことは、現場から繰り返し聞いています。そして、三つある水源のうち、特に水量が減ったのが第一水源でした。
この水源の周辺は、2019年の災害による倒木が非常にひどい状態のまま残っています。山道を歩いていると、何十本もの倒木が今でもそのままになっていて、「これが今にも滑ってきたらどうなるのだろう」と思うほどです。そして、その第一水源は水量の減少だけでなく、濁りも強くなりました。
山が大きく傷ついた。その後、水源の状態も変わった。この二つの間にどのような因果関係があるのかは、もっと丁寧に調べなければなりません。しかし、少なくとも水道に携わる者として、考えずにはいられない状況です。
「では、森を再生すればいいのか」
最初に頭に浮かんだのは、やはり森林のことでした。「森林が傷んだのなら、森林を再生すればいいのではないか」——水源を守るという観点から考えれば、ごく自然な発想です。
しかし、ここには大きな現実の壁があります。この地域は、高齢化が進んだ小さな集落です。森林を再生すると言っても、苗木を植えれば終わりではありません。その後何十年にもわたって森林を育て、間伐し、管理し続けなければなりません。いったい誰がそれを担うのか。水道のために森を守ることが大切だとしても、高齢化した地域の人たちにそれをお願いできるのか。そんな現実を前にすると、「森を再生しましょう」という正論だけでは、どうにもならない問題があることに気づかされます。
しかも最近の気象は、以前より極端になっているように感じます。夏には台風や線状降水帯による猛烈な雨が降り、一方で冬になるとほとんど雨が降らない。水が多すぎる時期と、水が足りない時期が、以前より鮮明に現れるようになっています。これは、水道にとって非常に難しい問題です。
そもそも「森林は水を蓄える」とは、どういうことなのか
こうした問いを抱えるようになってから、「森林が水を蓄える」ということを、改めてきちんと考えるようになりました。
水を蓄えると一口に言っても、実はいくつか違う意味があります。雨水を土壌に浸透させること。土壌の中に水を保持すること。地下水を涵養すること。雨が降ったときに河川へ一気に水が流れ込むのを防ぐこと。そして、雨が降らない時期に、地下水などから少しずつ水が供給されること。これらは似ているようで、同じではありません。
また、植物自身も水を使います。森林では、樹木が根から吸い上げた水が蒸散によって大気に戻ります。雨が木の葉や枝に遮られ、地面に届く前に蒸発することもあります。そう考えると、「森林が水を蓄える」という言葉だけでは、水が流域の中でどのように動いているのかを十分に説明できないのではないか、という疑問が生まれてきました。
そしてそこで出会ったのが、熊本県・阿蘇の草原の話でした。
「森林よりもススキのほうが水を育てる?」
阿蘇といえば、広大な草原が広がる場所として知られています。私はそれまで阿蘇の草原を、どちらかといえば「美しい景観」や「独特の生態系」という視点で眺めていました。ところが、阿蘇の草原について調べていくと、水源涵養というまったく違う側面が見えてきたのです。
熊本市は水道水源を全面的に地下水に依存しています。その地下水は、阿蘇を含む広い地域の水循環によって支えられています。つまり阿蘇の自然が、地下水を通じて熊本市の水道につながっているわけです。
そしてその阿蘇の草原について、「草原が森林より地下水涵養に寄与する可能性がある」という研究が行われていることを知りました。2016年に発表された研究では、阿蘇山西麓の森林流域と牧草流域を比較して地下水涵養量を推定しています。その結果、年平均の地下水涵養量は森林流域で約1,493mm、牧草流域で約1,920mmとなり、牧草流域のほうが約30%大きいという結果が出ていました。
さらに阿蘇では、ススキなどの草本植物と森林の蒸散量を比較する研究も行われており、ススキの年間蒸散量が約130mmであるのに対して、スギ・ヒノキでは約250mmという値が示されています。もちろん、これは特定の条件で得られた値であり、どこでも同じになるわけではありません。それでも、「森林はたくさんの水を蓄える」と信じていた私には、小さくない衝撃でした。「え? ススキのほうが水を地下に回すの?」というのが、最初の正直な感想でした。
阿蘇の森の話を知っていたからこそ、余計に驚いた
しかも私にとって阿蘇は、以前から「森」の物語と結びついていました。富山和子さんの本の中に、阿蘇の木が生えていなかった場所に木を植え、毎日水をやり続け、やがて林になり、森になるころには川が生まれるようになった、という親子・孫三代にわたる植林の物語が出てきます。私はその話にとても感銘を受けていました。人が木を植え、子どもがその木を育て、孫の世代になってようやく森になり、その森から水が生まれる——そんな長い時間の営みに、自然と人間の関係の理想を見るような気持ちがありました。
その同じ阿蘇について、「森林より草原のほうが地下水涵養に有利な場合がある」という研究を知ったのです。私の中では「阿蘇=森を育てることが水を育てる」という物語ができあがっていました。だからこそ、なおさら驚きました。
しかし、「それならススキを植えればいい」わけではない
ところが、さらに調べていくと、話はまた単純ではなくなってきます。森林の土壌のほうが、草原より透水性や保水性に優れる場合もあります。森林には、斜面の土壌を保持するという重要な役割があります。生物多様性を支える役割も、炭素を固定する役割も、木材を生産する役割もあります。
一方、草原も、適切に管理されなければ維持できません。同じ「草地」でも、良好な半自然草原と荒廃した草地では、機能が大きく異なります。「森林より草原が優れている」という話ではないのです。むしろ私が気づいたのは、自然の機能は、そんなに単純なものではないということでした。
森林神話が崩れたわけではない
ここで、自分自身の考え方を整理しておきたいと思います。
今回のことを知って、「森林は間違っていた」とは思っていません。森林は今でも大切であり、その多くの機能を否定するつもりは全くありません。むしろ森林が持つさまざまな機能を知っているからこそ、「森林をつくれば、それだけで水源問題が解決する」と単純に考えないほうがいい、と思うようになりました。
ススキが適している場所がある。森林が適している場所がある。水田を維持したほうがいい場所がある。湿地として残したほうがいい場所もあるかもしれない。ススキでも森林でもない、別の自然の形が最適な場所もあるでしょう。大切なのは、「何が一番優れているか」ではなく、「その場所では何が最も適しているか」なのではないでしょうか。
「森を増やす」から、「その土地に合った自然を考える」へ
これまでの私は、水道水源を守るためには森林を守り増やす、という一本の線で考えていました。今は少し違います。
水道水源を守るためには、まずその地域の水循環を知ること。そのうえで、森林・草原・水田・湿地などがそれぞれどのような役割を果たしているかを考えること。そして、その土地に合った自然の状態とは何かを考えること。そういう順番で考えるようになりました。
そしてこれは、水源だけの話にとどまりません。近年の日本では、短時間に猛烈な雨が降る一方で、長期間雨が降らないこともあります。水が多すぎる問題と、水が足りない問題。この二つを、同じ流域の問題として一緒に考える必要があるのではないか。そんなところまで、私の関心は広がっていきました。
次回は、そこからさらに一歩進んで、「洪水を防ぐ」だけではなく「洪水をいなす」という考え方と、これからの日本の水源・治水について考えてみたいと思います。
