「塩素は身体に悪い」という声
水道の話をしているとき、たまにこういう意見に出会うことがあります。
「塩素は身体に悪いから、できるだけ使いたくない」
塩素臭が嫌い。肌に悪そう。アトピーの原因になるのではないか。せっかくの井戸水なのだから、薬品など入れずにそのまま使いたい。こうした気持ちは、決して不思議ではありません。
しかし水の衛生について考えるとき、少し立ち止まって問い直したいことがあります。私たちは、一体何を怖がっているのでしょうか。
塩素は「毒」なのか
まず、塩素そのものについて整理しておきます。
塩素は大量に扱えば危険な物質です。これは事実であり、否定する必要はありません。高濃度では刺激性がありますし、誤った使い方をすれば危険です。
しかし、これは塩素だけの話ではありません。食塩も大量に摂れば致死的です。酸素でさえ高濃度では身体に悪影響があります。私たちが毎日飲んでいるコーヒーに含まれるカフェインも、摂取量によってはリスクになります。
物質の安全性を考えるうえで本当に重要なのは、「その物質が危険か安全か」ではなく、「どのくらいの濃度で、どのように曝露するのか」です。
水道水に残っている塩素は、病原微生物を抑えるために管理された濃度です。日本の水道では、蛇口から出る水に一定以上の残留塩素を確保することが法律で定められています。これは「毒をわざわざ水に残している」のではありません。水道管の中を水が移動する過程でも、微生物学的な安全性を維持するために必要な仕組みです。
塩素を入れなかったら?
では、塩素を入れなかった場合に何が起きるのかを具体的に考えてみます。
一つの井戸を例にとります。その水には塩素臭がありません。「自然の水だから安心」と感じる方も多いでしょう。ところが浄水場から家庭に水が届くまでにいくらかの細菌類や大腸菌類や、微生物が混じっているかもしれない。
さて、この結果をどう見ますか。
塩素が入っていないから、細菌や大腸菌、微生物が直接体内に取り込んだり、入浴や手洗いの際に、知らず知らずにうちに作った傷口にそれらが接触しても大丈夫でしょうか。
もちろん塩素など入れなくても細菌や微生物が混入しないのが一番です。でも、地震や老朽化で万が一、ある部分で交じってしまっていたら?その水の安全性をどう確保できるでしょうか。
「細菌や大腸菌がいない」と「安全」は同じではない
ここはとても重要な点です。
細菌類や大腸菌が今日、仮に入っていなかったとしたら、その結果は今日のことであって、未来永劫それが続く保証はありません。自治体の水道職員さんは当然万全を尽くして水道の安全性を守っています。でも、災害や老朽化の問題はいかんともできないケースがあります。
常に大腸菌がいないとは限りません。少しずつ設備は古くなりますが、そのような状況下で来月や来年もいないとは限りません。大雨の後は状況が変わるかもしれません。
「飲まなければ大丈夫」は本当か
ここで、もう一つよく聞く意見があります。
「飲み水はペットボトルを買っているから、生活用水は消毒しなくていい」
一見すると合理的に聞こえます。しかし、生活用水は本当に「飲まない」のでしょうか。
歯を磨きます。手を洗います。顔を洗います。お風呂に入ります。食器を洗います。調理器具を洗います。場合によっては傷口にも水が触れます。
飲んでいなくても、水は人間の身体に触れています。それも、様々な形で。
歯を磨けば水は口の中に入ります。手を洗えば、その手で食べ物を触ります。食器を洗えば、その食器で食事をします。傷口に水が触れれば、皮膚という身体の防御壁を直接越えてくる可能性があります。
「飲んでいないから安全」は、水の衛生を考えるうえで正確ではありません。問題は、「その水が人間の身体にどのように接触するのか」です。接触の形が多様であるほど、リスクの管理は重要になります。
また、大人は飲まなくても、子供たちは目を離したすきに飲んでしまうかもしれない。はしゃいでいる間に、口や目、鼻に入ってしまうかもしれない。そんなリスクまで考えたことはありますか?
塩素が嫌なら、どうすればいいのか
ここで誤解してほしくないことがあります。
私は「塩素が嫌なら必ず塩素を使え」と言いたいわけではありません。
紫外線(UV)消毒でも構いません。その他の有効な消毒方法でも構いません。大切なのは、消毒の「手段」を何にするかではなく、病原微生物のリスクをきちんと管理できているかどうかです。
つまり、
「塩素を使わないこと」と「消毒しなくていいこと」は、まったく別の話です。
「UVランプを付ければいい」は本当か
では、塩素の代わりに紫外線を使えばいいのでしょうか。UV消毒には確かに優れた特徴があります。紫外線で殺菌し、薬品のようなものを水に残しません。塩素臭もありません。適切な条件下では微生物を効果的に不活化できます。
しかし、落とし穴があります。
UV消毒は、水に十分な紫外線が届いて初めて成立します。仮に水が濁っていたら?色が付いていたら?流量が大きすぎたら?ランプが劣化していたら?石英管が汚れていたら?点灯させているつもりがランプが切れていたら?家庭用の装置が本当に必要なUV線量を確保できているかどうか、確認していますか?
さらに重要なのは、UVには塩素のような「残留効果」がないという点です。UV装置を通過した後の配管で再汚染が起きても、UVはそこまで追いかけてくれません。
UV消毒は有効な技術ですが、適切に使わなければ意味がありません。「付けさえすれば安全」ではないのです。
そもそも、なぜ水を消毒するのか
少し根本的なことを考えてみます。
私たちはなぜ、水道水に塩素を入れるのでしょうか。
答えは単純です。自然の水を、そのまま安全に使えないからです。
自然界には、細菌、ウイルス、原虫など、様々な微生物が普通に存在しています。川の水も、山の湧水も、井戸水も、無菌ではありません。だからこそ、ろ過して、消毒して、検査して、配管を管理して、人間が安全に使える水に整えているわけです。
「自然の水だから安全」という考え方は、残念ながら科学的には成立しません。コレラ、腸チフス、赤痢。これらはすべて、消毒されていない水が原因で広まってきた病気です。近代の水道が整備されるまで、人類は水が原因で多くの命を失ってきました。
「見えるもの」と「見えないもの」
塩素には特徴があります。臭います。味がします。肌で感じることができます。だから人間は不安を覚えやすい。
一方、細菌は見えません。大腸菌も見えません。ウイルスも見えません。原虫も見えません。
人間は「存在を感じられるもの」を危険だと思い、「存在を感じられないもの」を過小評価してしまう傾向があります。電子レンジ、食品添加物、農薬、化学物質。「人工的なもの」を避ければ安全だという感覚は理解できます。しかし科学的な安全性は、「自然か人工か」では決まりません。
衛生管理は感覚で行うものではありません。臭いがするか、おいしいか、自然な感じがするか、ではなく、病原微生物のリスクをどれだけ管理できているか、そこを見る必要があります。
「塩素が嫌い」は自由。しかし「消毒しない」は別問題
塩素臭が嫌い。これは個人の感覚であり、好みです。そのことを否定する必要はありません。
ただし、「塩素が嫌い」から「消毒しない」という結論に直接飛躍してはいけません。そこには大きな違いがあります。
塩素を使わないなら、代わりに何をするのか。UVなのか、ろ過なのか、膜処理なのか。それをどう管理するのか。処理できていることをどう確認するのか。そこまで考えて初めて、「塩素を使わない」という選択が成立します。
本当に怖いのは、どちらか
最初の質問に戻ります。
塩素が怖いから入れない。では、その結果として微生物リスクが十分に管理されていない水を使うことになったとしたら、一体どちらを警戒すべきでしょうか。
もちろん、塩素にも適切な濃度管理が必要です。消毒副生成物への配慮も必要です。「塩素なら何でも安全」とは言いません。
しかし同時に、微生物による感染リスクを無視していいことにはなりません。
水について考えるとき、問うべきは「その水は塩素が入っているか」ではなく、「その水は、適切にリスクが管理されているか」です。
「塩素は怖いから入れない」という判断が、微生物リスクの管理を置き去りにしたまま行われているとすれば、それこそが私には怖いことに思えます。