前回、私は「水を守るなら森を増やせばいい」と考えていたところから、熊本・阿蘇のススキ草原による水源涵養の研究を知り、「その地域にとって、どんな自然が水を守るのか」という問いへと考えが変わっていった経緯を書きました。
森林が重要であることに変わりはありません。ただ、森林だけが水を守るわけでもない。草原・水田・湿地・土壌・河川など、それぞれに違う役割があります。そしてそこから、もう一つ考えなければならないことが見えてきました。これからの日本では、洪水と渇水を同時に考えなければならないのではないか、という問いです。
水が多すぎる日と、水が足りない日
2026年の夏、千葉県では線状降水帯が相次いで発生し、記録的な大雨となりました。こうしたニュースを見るたびに、私は考えます。「森林を増やせば、水害を防げるのだろうか」と。
もちろん森林には、雨水を土壌に浸透させて流出を緩和する働きがあります。しかし、猛烈な雨が短時間に集中して降る場合、森林だけですべての水を受け止めることはできません。一方で、雨が降らない冬には、水道水源の流量が不足して現場が緊迫する。
つまり、大雨のときには水が多すぎる、雨が降らないときには水が足りない——この二つは一見すると正反対の問題に見えます。しかしよく考えると、これは水循環という一つの現象を、違う時間軸から眺めているだけなのかもしれません。その視点に気づいたとき、問題の輪郭が少し変わって見えてきました。
「水を貯める」だけではなく、「水の時間を変える」
水源涵養という言葉から、私たちはつい「どれだけ水を貯められるか」と考えてしまいます。しかし本当に重要なのは、単純な貯水量だけではないのかもしれません。
雨が降り、その水が土壌に入り、地下に浸透し、地下水になり、河川へゆっくり流れていく。雨が降らない時期にも、そこから少しずつ水が流れ出してくる。この一連の流れを丁寧に見ると、自然の役割は「水を貯めること」だけではなく、「水が流れる時間を変えること」でもあると気づきます。
猛烈な雨が降ったときには、できるだけ一気に下流へ流さない。雨が降らないときには、流域に残っている水をできるだけ少しずつ流す。こう考えると、洪水対策と水源涵養は、実は同じ水循環を両側から見ているのではないかという気がしてきます。洪水を防ぐことと、渇水期の水を守ることは、対立した課題ではなく、一つの流域を健全に保つという同じ目標の、異なる側面なのかもしれません。
洪水を「なくす」のではなく、「いなす」
ここで思い出すのが、武田信玄の治水です。信玄堤は、巨大な堤防一本で水を完全に閉じ込めるという発想ではありませんでした。御勅使川の流れを分け、水勢を弱め、霞堤などを組み合わせることで、洪水の力を分散させる仕組みがつくられていました。
もちろん戦国時代の治水を、現代の技術や制度と同列に語ることはできません。しかしそこには、今に通じる考え方が宿っています。「どんな洪水も絶対に起こさせない」という発想だけでなく、「洪水が起こったとき、水をどう動かし、どう分散させ、どう被害を小さくするか」という発想です。私はこれを「水害を防ぐ」だけでなく「水害をいなす」という言葉で考えるようにしています。
現在推進されている「流域治水」も、河川だけではなく流域全体で水害を軽減するという考え方です。山から海までを一つの水循環として捉える。これは、水源を守ることを考えるときの視点とよく似ています。
山だけでなく、流域全体で水を受け持つ
山には森林があります。森林では、樹冠が雨を受け、落葉層が雨滴の衝撃を和らげ、土壌に水が浸透し、根が土壌を支えるという働きがあります。その下流には草原があるかもしれない。さらにその先には水田があり、谷筋には湿地があり、河川沿いには河畔林が広がっているかもしれない。都市に入れば、公園・街路樹・雨庭・透水性舗装なども水を受け止める役割を果たすことができます。
こう考えると、森林だけに水を受け止めてもらう必要はないのです。流域のいろいろな場所で、少しずつ水を受け持てばいい。一つひとつは小さな働きに見えても、それが積み重なれば大きな違いになる可能性があります。流域全体を「水を受け持つシステム」として設計するという発想は、これからの治水と水源管理の両方に共通するものではないでしょうか。
では、森林はどうすればいいのか
ここで、前回から続く私自身の問いに戻ります。私は以前から、「ただスギやヒノキを密集させるより、適度に間伐して一本一本を健全に育て、林内に光が入り、下層にススキや低木・草本が育っている森林のほうが強いのではないか」と思っていました。これは単なる景観の話ではありません。
森林の中に光が入れば下層植生が育ちます。落葉や草本が地表を覆い、植物の根が土壌を支えます。そうした構造ができれば、雨が降ったときの水の動きも変わります。実際、間伐が遅れた人工林では林床が裸地化し、地表流が発生しやすくなることを示した研究もあります。
一方で、間伐すれば必ず水源流量が増えるわけでもありません。残った樹木も水を使いますし、下層植生も水を必要とします。土壌や地質・地形によっても結果は変わります。だから「間伐すれば水が増える」という単純な話にはなりません。重要なのは、森林面積だけでなく「どんな森林なのか」を見ることなのだと思います。
「森林」「草原」「水田」「湿地」を競争させない
ここまで考えてくると、「森林と草原、どちらが優れているのか」という問い自体が、あまり意味を持たないように思えてきます。
森林には森林の役割があります。草原には草原の役割があります。水田には水田の、湿地には湿地の役割があります。そして、それぞれの役割が重なり合うことで、流域全体の機能ができあがります。急斜面には森林が適していることが多く、緩斜面には草原が向いている場所もあり、谷筋には湿地が適した場所がある。農業を維持できる場所では水田を守り、河川沿いには河畔林や遊水空間を残す。そうした「自然のモザイク」を考えることができるのではないでしょうか。
重要なのは、全国一律の正解をつくることではありません。その土地の条件に合わせて、「この場所では何が最もよいのか」を問い続けることです。
地方には地方の自然、都市には都市の自然
この考え方をさらに広げると、地方と都市では、自然づくりのあり方も変わってきます。山間部には、森林・草原・湿地・水田・里山など、その地域ならではの自然があります。そこでは水源涵養・土砂災害の抑制・生物多様性・農業・景観・地域文化・地域経済を、一緒に考えることができます。
一方、東京のような大都市に、阿蘇のような広大な草原をつくることはできません。しかし、都市には都市の自然があります。街路樹・公園・都市河川・雨庭・透水性舗装・屋上緑化・小さな湿地——こうしたものを組み合わせれば、豪雨時には雨水を一時的に受け止め、夏には気温を下げ、生き物の生息場所をつくり、人が自然に触れる場所にもなります。地方には地方の、都市には都市でできる自然がある。その土地に合った自然を考えればいい、ということです。
水道から見ると、「自然」もインフラに見えてくる
水道技術者として、この考え方に特に面白さを感じる点があります。
水道には、取水施設・導水管・浄水場・配水池・配水管があります。これらは誰が見ても「インフラ」です。しかし、そのさらに上流には、森林・草原・水田・湿地・土壌・地下水があります。これらが水を受け止め、浸透させ、貯留し、ゆっくり流してくれることで、そもそも水道水源が成立しています。そう考えると、水源流域の自然も、水道を支えるインフラの一部なのではないかという気がしてきます。
もちろん自然だけですべての水問題を解決することはできません。大規模な洪水には堤防やダムなどの人工構造物も必要ですし、水道施設そのものの耐震化や冗長化も必要です。大切なのは、「自然か人工か」という二択にしないことだと思います。自然の力と人工の力を、それぞれが得意な領域で組み合わせる。これが、これからのインフラの設計思想ではないでしょうか。
「森を増やす」から、「水を守る流域をつくる」へ
ここまで考えてくると、私自身が持つ問いも変わってきました。「森を増やすべきか」でも「ススキを増やすべきか」でもなく、「この地域では、どんな自然の組み合わせが、水と暮らしを最もよく守るのか」という問いです。
その答えは地域によって違います。地質も、降水量も、地形も、人口も、産業も、生態系も、自然を管理できる人の数も、すべて違うからです。だから日本全国を一つの方法で自然再生しようとするのではなく、地域ごとに、その土地の条件に合った自然の姿を考える。それがこれから必要なことなのではないでしょうか。
森林神話を壊すのではなく、森林神話を一段深くする
私は今でも、森林は大切だと思っています。阿蘇の研究を知ったからといって、「森林神話が崩れた」とは思っていません。むしろ逆で、森林が持つ役割をあらためて深く考えるきっかけになりました。
森林には、森林にしかできないことがある。草原には、草原にしかできないことがある。水田にも、湿地にも、それぞれに代替できない役割がある。そしてその役割は、場所によって変わります。だからこそ「森を増やせばいい」から一歩進んで、「この場所には、どんな自然が必要なのか」と問うこと——その発想の転換に、これからの水と暮らしを守るための大切な何かが宿っているような気がします。
水道は、山の上から始まっている
水道の仕事をしていると、どうしても取水施設・浄水場・配水池・管路といった「水道施設」に目が向きます。しかし、本当はもっと上流から水道は始まっています。
雨が山に降り、土に浸透し、森林や草原が水を受け止め、地下水になり、沢に流れ出て、河川になる。その水を私たちが取水し、浄水して、蛇口まで届ける。水道を守るということは、水道施設だけを守ることではありません。その水が生まれる流域そのものを守ることでもあるのです。
そしてこれからの日本では、その守り方も変えていく必要があります。猛烈な雨が降ったときには、水を受け止め、遅らせ、分散させる。雨が降らないときには、流域に残った水をできるだけゆっくり流す。土壌を守り、生態系を守り、地域の人が無理なく維持できる形をつくり、必要なら人工的な施設とも組み合わせる。そうして、洪水にも渇水にも、できるだけしなやかに対応できる流域をつくっていく。
森林が最適な場所には森林を。草原が適した場所には草原を。水田を残すべき場所には水田を。湿地が必要な場所には湿地を。そして、それ以外のものが適しているなら、それを選ぶ。私は今、そんなふうに考えています。
「森を増やせばいい」という問いから始まった旅は、いつの間にか「その地域にとって、どんな自然が一番よいのだろう」という、もっと深い問いへと変わっていきました。まだ答えはありません。しかしこれからの日本の水源と治水を考えるうえで、この問いを持つこと自体に意味があると思っています。
