1. 全インフラが同時に寿命を迎える「多死社会」の到来
2030年代、日本のインフラは前例のない局面を迎えます。
高度経済成長期に一斉に整備された水道管、下水道管、橋梁、トンネル、ダム——これらが同じ時期に、ほぼ同時に法定耐用年数を超え始めます。国土交通省の試算によれば、建設後50年以上経過する橋梁の割合は、2023年時点で約40%に達し、2033年には約63%になると推計されています。水道管の老朽化、下水道管の損傷、道路の陥没——これらのニュースが重なって報道されるのは、一つひとつが偶然のトラブルではなく、同時多発的な「インフラの老齢化」という構造問題の表れです。
この「インフラの多死社会」に対して、今の日本が選択できる人的資源は明らかに不足しています。建設業の技術者・技能者は高齢化し、若い担い手が業界に参入していない。設計・施工・維持管理のすべての段階で、かつての水準の人手を確保することは現実的ではありません。
それにもかかわらず、多くのインフラ計画は「更新が来たら更新する」という従来の発想のまま作られています。しかし「更新をする人がいない」という前提を受け入れるなら、設計思想そのものを変えなければならない。更新を前提としたシステムではなく、そもそも更新がほとんど必要ないシステムを選ぶ——この発想の転換が、今、すべてのインフラ計画に問われています。
2. インフラの「短命化」が社会を貧しくするメカニズム
インフラの更新周期が短いことは、単純にコストがかかるというだけでなく、社会全体の「豊かさの余力」を継続的に奪うという深刻な問題を持っています。
水道の急速ろ過方式を例にとれば、その維持管理体制は数年ごとのポンプ分解整備、10年単位での撹拌機整備、30年での施設全面更新というサイクルを繰り返します。この各フェーズに、設計・入札・施工・監理という事務の連鎖が伴います。自治体の水道担当職員は、この事務に追われ続け、本来行うべき長期計画や住民への説明、他の政策課題への対応ができなくなります。
これは水道だけの話ではありません。橋梁の点検と補修、下水道管の更生工事、道路の舗装打ち替え、トンネルの覆工補修——これらが同時並行で自治体に押し寄せてきます。限られた予算と人手が分断され、どれも中途半端にしか対応できない状況が生まれます。
より深刻なのは、この「維持管理の泥沼」が自治体財政全体を圧迫する点です。インフラ更新費用が膨らむほど、教育への投資、子育て支援、医療・福祉、デジタルインフラへの予算は後退します。インフラを「直し続けること」に社会のリソースが集中するとき、「新しい豊かさを生み出すこと」への投資が枯渇します。
機械に依存し、薬品に依存し、熟練技術者に依存するシステムは、それを支えるサプライチェーンが健全である限りは機能します。しかし部品メーカーが廃業すれば、特殊部品が手に入らなくなります。薬品メーカーが被災すれば、供給が途絶えます。技術者が退職すれば、ノウハウが失われます。依存の連鎖が長いシステムは、いずれかの連鎖が切れた瞬間に機能不全に陥るリスクを常に抱えています。
高度成長期ではこのような状況でも、より成長してその利益でこのような社会構造を支えることができていました。しかし、経済成長が限定的となり、人口減少が叫ばれ、外国人技術者の招聘が移民問題となる中、われわれはどんなインフラが必要であり、どんなインフラを選択するべきなのでしょうか?
3. 「100年資産」を築くための技術選択
では、何を選ぶべきか。
答えの方向性は、歴史が示しています。今日も現役で機能している古いインフラを見ると、多くの場合、「普遍的な素材と力」を使って作られています。コンクリート、石、砂、重力、生物の力——これらは特定のメーカーに依存せず、部品の調達リストを必要とせず、熟練技術者がいなくても動き続けます。
江戸時代に作られた水路が今も灌漑に使われている地域があります。明治期に石積みで作られた橋が今も現役の場所があります。これらが100年以上にわたって機能し続けているのは、高性能だからではなく、シンプルで依存度が低いからです。壊れる部品がない設備は、壊れません。
この原則を現代のインフラ設計に取り戻すことが、人手不足時代の必然的な方向です。
水道における緩速ろ過は、その具体的な現代的実装です。砂と砂利という自然素材、微生物という生物の力、重力という物理の法則——これらだけで水を浄化します。電動の駆動部はほぼなく、薬品への依存もほぼない。管理に必要な作業は、熟練技術者でなくても対応できる範囲に収まります。適切に管理されれば100年単位の使用が現実的であり、「更新」という概念そのものが大幅に遠のきます。
これは水道に限った話ではありません。橋梁設計においても、複雑な機械式の可動橋より固定橋の方が維持管理コストが低い。コンクリート構造物においても、後で手を入れなくて済む高品質な初期施工が、長期的には圧倒的に有利です。下水道においても、機械的な処理への依存を下げ、自然の重力と生物処理を活かした設計は、長寿命と低維持費の両立を可能にします。
技術選択の基準を「性能」から「持続性」へ、「短期コスト」から「LCC(ライフサイクルコスト)」へ転換する。この方針転換が、100年資産を築くための設計思想の出発点です。
4. 「富の蓄積」は、メンテナンスフリーの先にしかない
インフラの維持管理にかかる人手とコストを劇的に減らすことで、初めて社会には「余剰」が生まれます。この余剰こそが、社会の豊かさの源泉です。
江戸時代の農村が、農業という生産活動の合間に余力を持てたとき、祭りが生まれ、職人技が磨かれ、文化が花開きました。産業革命期に蒸気機関がもたらした生産効率の向上は、人々を単純労働から解放し、より高度な知的活動への参加を可能にしました。技術によって「手間」が削減されるたびに、人間は次の豊かさを生み出してきた。
これはインフラにも当てはまります。更新のたびに人手と予算を奪われるインフラを抱え続ける社会は、その維持に消耗し続けます。しかしほぼ更新を必要としないインフラが社会の基盤として安定すれば、解放された人手と予算は新しい価値の創出に向かいます。教育、医療、デジタル化、環境対策、宇宙開発、文化——これらは「余剰」があって初めて投資できる分野です。
かつての先人が残してくれた「丈夫なインフラ」のおかげで、私たちは今の豊かさを享受しています。私たちも、次の世代に同じものを贈る責任があります。
「修理の督促状」ではなく、「安定した土台」を。
この言葉が、インフラ設計の根本的な方針として共有されるべきです。
5. 未来の設計図を引き直す。今、私たちがすべき選択。
問題は技術の問題ではなく、選択の問題です。
私たちは今、二つの方向の分岐点に立っています。一つは、高性能だが更新周期が短く、維持管理に人手と薬品とエネルギーを要し続けるシステムを選び続ける道。もう一つは、性能は十分であり、更新がほとんど不要で、普遍的な素材と力で動き続けるシステムを選ぶ道。
前者を選び続ければ、次の世代は「更新地獄」を引き継ぎます。後者を選べば、次の世代は「安定した土台」の上に立てます。
この選択は、水道の技術論を超えています。どのような社会を次の世代に贈りたいか、という価値判断です。インフラに縛られ続ける社会を贈るのか、インフラに支えられながら自由に動ける社会を贈るのか。
壊れにくく、直しやすく、人手を奪わない——この三条件を満たすインフラを「資産型インフラ」と呼ぶとすれば、私たちはその普及に向けて、設計の現場から一歩ずつ動いていきます。
すべてのインフラ計画において、「更新を前提としない設計」という思想が標準になる日を目指して、私たちは技術と言葉の両方で働き続けます。
100年後の日本が今より豊かであるために、今どのインフラを選ぶか。水未来研究所は、その問いを現場から問い続けます。
