「微生物の気持ち」がわかれば、水処理は変わる。

目次

序文:技術者としての原点「排水処理」

仕事を始めたばかりの頃、私は食品工場や給食センター、酒造メーカーの現場を毎日のように歩き回っていた。

担当していたのは排水処理だ。食品工場から出る大量の有機物を含んだ排水、米のとぎ汁のような粘り気のある廃水。それらを川に流せるレベルまで浄化する施設を設計し、うまくいかない現場を改善する仕事だった。

その現場で私が最初に思い知ったのは、水をきれいにしているのは人間ではないという事実だった。

主役は、目に見えない微生物たちだ。彼らが水の中の炭素や窒素を食べ、分解し、川に流しても問題のない水へと変えていく。人間はその脇役に過ぎない。そのことを理解した瞬間から、私の仕事の向き合い方が根本から変わった。


第1章:人間にできるのは、彼らの「作業場」を整えることだけ

排水処理の原理はシンプルだ。水中の炭素や窒素を、微生物の力で分解・除去する。難しいのは原理ではなく、微生物が気持ちよく働ける環境を整えることだ。

人間にできることは、実はそれほど多くない。

適切な大きさの槽を用意すること。空気でぶくぶくと曝気し、微生物が活動するのに必要な酸素を与える曝気槽を設けること。処理が終わった段階で、処理水と微生物を分離する沈殿槽という休息の場を作ること。大きく言えば、これだけだ。

あとは、微生物にお任せするしかない。

ここが面白い。微生物と一口に言っても、実際には無数の種類が複雑に絡み合って構成されている。水質、水温、槽の大きさ、流入する有機物の種類――そうした環境の変化に応じて、微生物の種類と数は自然と変わっていく。人間の腸内フローラが食事や体調によって変化するのと、まったく同じ原理だ。

環境を丁寧に整えれば、微生物は存分に力を発揮し、きれいな水が生まれる。環境が乱れれば、まだ川に流せない水しか作れない。結果はすべて、環境の質に跳ね返ってくる。


第2章:顕微鏡の向こう側に見た、計算できない彼らの姿

ごはん工場と食肉工場では、排水の性質がまるで違う。含まれる有機物の種類も、微生物への負荷も異なる。セオリーはあるが、現場はセオリー通りにいかないことの方が多い。

あるとき、会議でコンサルタントがこんな言葉を口にした。「微生物処理は計算できないから、扱いづらい」と。

確かにその通りだと思った。しかし私の中に湧いてきたのは、苦手意識ではなかった。「面白い。理解できるようになりたい」という感覚だった。

それから、毎日顕微鏡を覗くようになった。

不調な現場に行くたびに、顕微鏡で微生物の状態を観察し、何が起きているのかを考え続けた。どういう環境の時に、どの微生物がどんな動きをするのか。調子が良い時の槽の色、曝気槽での泡の立ち方、においや色味の微細な変化。そうしたものを毎日毎日、自分の中に積み重ねていった。

気がつくと、pH計もDO計も使わなくても、処理場を眺め、顕微鏡を一瞥するだけで、今の状態と改善すべき点、pHやDOがどのあたりにあるかが、手に取るようにわかるようになっていた。

数値化される前の「気配」を読む感覚、とでも言えばいいだろうか。それは長い時間をかけて、現場との対話の中で自分の中に育っていったものだった。


第3章:名もなき「水番人」たちへの敬意

排水処理の現場で、もう一つ強烈に印象に残っていることがある。

民間工場の排水管理を担う職員たちの姿だ。

彼らにとって、排水処理の管理は「本来業務の片手間」だ。生産ラインを動かすことが主たる仕事であり、排水処理はそれに付随する業務として位置付けられている。しかし、処理場から基準を超えた水が出れば、法律違反として厳しく問われる。最悪、工場長か誰かが逮捕されることもある。

「片手間」とは到底言えない重圧が、そこには常にある。

生産品目が変われば、排水の性質も量もたびたび変わる。新しいメニューの導入、季節による生産量の変動、突発的なトラブル。そのたびに排水の質も量も変わる。

廃水処理場の状態は揺れ動き、管理者はその変化に対応し続けなければならない。

彼らは早朝から現場を確認し、昼間も合間を縫って様子を見に行き、夜遅くにも処理場に立ち寄る。年末年始も、お盆も関係ない。処理場が動いている限り、誰かが見ていなければならない。

その孤独な責任感に、私は常に彼らを静かに尊敬していた。


第4章:AIが「微生物の声」を翻訳する日

AIの可能性が語られ始めた時、私は直感的にそう思った。

あの人たちの負担を、AIで楽にしたい。

処理場の状態を継続的にモニタリングし、微生物の「気配」をデータとして捉え、異常の予兆を検知する。経験豊かな技術者が長年かけて身につけた「勘」を、AIがデジタル化して引き継ぐ。そんな未来が来れば、年末年始も早朝も深夜も、一人で処理場を見張り続けなければならない孤独が、少しは和らぐはずだと思った。

その思いを形にしたくて、AIに強みを持つ水処理の会社に転職した。

しかし現実は思うようにいかなかった。当時はまだAI技術自体が発展途上にあり、排水処理への具体的な応用には距離があった。結果として、他の業務を優先せざるを得ず、あの時に描いた構想を実現することはできなかった。

それでも、その思いは今も消えていない。

AIはあの頃から格段に進化した。

画像認識、時系列データの分析、異常検知、自動制御――技術的な基盤は、当時とは別次元の水準に達しつつある。施設の状態をリアルタイムで分析し、微生物の挙動を読み解き、管理者に的確なアドバイスを届けるシステムは、もはや夢物語ではない。

顕微鏡を覗き続けた日々に積み重ねた「気配を読む感覚」が、AIによってより多くの現場に届けられる日が、着実に近づいている。


第5章:水道の次は、排水処理の未来を創る

今、私の全力は水道の理想を追求することに向いている。

未普及エリアへの小規模水道の展開、管理できるインフラの設計、地域の実情に合った最適解の提案。やるべきことは山積みだ。それは変わらない。

しかしその先に、もう一つの仕事場が見えている。

排水処理の現場だ。あの食品工場の早朝、年末年始も処理場に通い続けていた名もなき管理者たちの姿は、20年以上経った今も、私の中に鮮明に残っている。彼らの負担を軽くしたいという思いは、転職で叶えられなかった分だけ、むしろ強くなっている。

微生物を愛し、その管理者を愛する。

水未来研究所の次なる挑戦は、そこにある。水道という川上から始まり、排水処理という川下まで。水の全体像を視野に収めながら、私たちは提言と実践を続けていきたい。

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