1. 「責任回避」が生み出す、重すぎるインフラの正体
日本各地で、老朽化したインフラの更新が急務となっています。水道管、橋梁、トンネル、下水道管。これらを更新するための費用は膨大であり、多くの自治体がその重さに苦しんでいます。
自治体がインフラを発注する際、自治体の担当者はメーカーや設計会社の提案を受け入れることで、技術的な責任をある程度委ねることができます。一方、メーカーや設計会社の側には、より高性能な製品・システムを提案するインセンティブが働くことがあります。ノルマ、評価、売上。そうした現実の圧力の中で、「これくらいなら良いだろう」という小さな妥協が積み重なっていきます。
役所はメーカーに責任を委ね、メーカーはノルマのために高スペックを売る。この構造の中では、誰も明確な「悪者」にはなりません。しかしその結果として時に生まれてしまうのは、次世代が維持するには高額すぎて、寿命が来るたびに財政を圧迫し続けるインフラです。
誰かが意図的に悪いことをしたわけではない。しかし結果として、未来の人々に過大な負担が積み重ねられていく。この「誰も悪者にならない仕組み」が、日本のインフラ問題の一部として存在する問題だと、私は考えます。
2. インフラ選択に見る「本質」の線引き
ここで一つの問いを、自分自身に向けて考えてみてください。
50の価値を求めている相手に対して、将来的に本当に必要になるかもしれないものを含めて100を提案することがあります。相手の状況を考えたときに本当に必要で最適な提案であれば、これは誠実な仕事だと思います。相手の将来を見据え、今は気づいていないニーズを先取りして提案する。それは、専門家としての本来の役割です。
しかし、50で足りる相手に対して、その組織にとって本質的ではないとわかっていながら「付加価値」として積み上げ、100にして売ることはどうでしょうか。
この二つの違いは、一見すると微妙です。どちらも「より良いものを提案した」という外形を持っています。しかし本質は、まったく異なります。前者は相手の利益のための提案であり、後者は自分の都合のための提案です。
問題は、この線引きが制度や法律では定められていないという点です。外から完全にチェックすることもできません。だからこそ、最後は作り手や売り手、一人ひとりの良心に委ねられています。
自分は本当に、相手にとって必要なものを提案しているのか。それとも、自分の都合を相手の利益に見せかけているのか。その問いを、日々の仕事の中で持ち続けられているかどうか。それが、インフラに関わるすべての人間に問われていることだと思います。
3. 沈みゆく船の中の「椅子取りゲーム」を終わらせる
橋が寿命を迎え、道路が傷み、水道管が更新時期を超え、下水道管が老朽化していく。日本のインフラは今、複数の危機が同時に押し寄せる局面にあります。その中で使える予算や対応する行政員の人数は有限であり、これからさらに厳しくなっていきます。
そのような状況の中で、本質的ではないスペックに予算が費やされることの意味を、改めて考えてみてください。
限られた予算という「富」を、不要なスペックに費やすことは、本当に必要な更新や維持管理に回せるはずだった資源を奪うことです。その判断の先で、誰かが不利益を被ります。老朽化した施設が更新されないまま残り続ける地域の住民かもしれません。維持管理費を捻出できず、使用料金を高くせざるを得ない自治体かもしれません。あるいは、過大なインフラの負債を引き継ぐことになる次の世代かもしれません。
沈みゆく船の中で、だれもが少しでも高い場所を確保しようと争うことはできます。しかしその争いは、船全体をさらに傾けます。自分だけが何とか助かろうとする行動が、結果として自分も含めた全員を沈めていく。この現実に、私たちは正直に向き合う必要があります。
椅子取りゲームをやめて、船そのものを立て直す側に回ること。それが今、インフラに関わるすべての人間に求められている選択です。
4. 「良心」を設計図に書き込む
では、この問題をどう解決すればいいのか。
制度や規制で完全に解決することは、おそらくできません。何が「本質的な提案」で何が「不要な付加価値」かを、外部から判定する客観的な基準を作ることは極めて難しい。明確なルールがあるわけでもなく、違反を取り締まる仕組みがあるわけでもありません。
だからこそ、最後に頼れるのは個人の良心だけです。
ノルマがあることはわかっています。評価があり、給与があり、達成できなければ立場が厳しくなる。その現実の重さは否定しません。しかしそれでも、その判断の先にいる誰かが不利益を被るとわかっていながら、目をつぶることを「仕方がない」で済ませ続けることが、社会全体に何をもたらすのかを、一度だけ立ち止まって考えてほしいのです。
小さな不誠実の積み重ねが、自分の生活を支えているとしたら。その結果として誰かが損をし、社会が少しずつ弱っていくとしたら。それでも、自分だけは大丈夫だと言い切れるでしょうか。
30年で更新が必要になる「消費されるインフラ」ではなく、100年持つ「資産としてのインフラ」を選ぶ。その一つの決断が、沈みゆく船を立て直す最初の一手になります。良心を設計図に書き込むとは、そういうことだと私たちは考えています。
5. 未来の日本人から「ありがとう」と言われる働き方を
本質的な価値を届けることは、短期的には損をすることがあります。より高価なものを売れば、今期の数字は良くなるかもしれません。しかしその判断の積み重ねが、最終的に信頼を築くのか、それとも社会を少しずつ弱らせていくのか。その違いは、10年後、20年後に、じわじわと現れてきます。
誠実な仕事は、遠回りに見えて、最も長く続くやり方だと私たちは信じています。
50年後、100年後の日本人が、今私たちが作ったインフラを使いながら、「ちゃんと考えて作られたものだ」と思える日が来るとしたら。逆に、「なぜこんな過大なものを作ったのか」と首をひねる日が来るとしたら。その違いを決めるのは、今日の仕事の中にある小さな選択です。
水未来研究所は、インフラに関わる作り手・売り手・選び手のすべてが、本質的な価値を問い続けることのできる文化を育てていきたいと考えています。沈みゆく船のデッキで高い場所を争うのではなく、一致団結して船そのものを浮上させる仕事へ。そのための誠実な積み重ねで、もう一度この国のインフラを、未来の世代が誇れるものにしていきたいと思っています。
