1. バングラデシュ「能力強化プロジェクト」の現場から
2014年から2019年にかけて、私はJICAの技術協力プロジェクトの一員として、バングラデシュ公衆衛生工学局(DPHE:Department of Public Health Engineering)への技術移転に携わりました。
バングラデシュの水問題は、1990年代に世界的な衝撃をもって知られることになりました。地下水に含まれるヒ素汚染の発覚です。安全な飲み水を確保するため、世界中のドナー機関が一斉に支援を開始しました。深井戸、簡易浄化設備、雨水貯留タンク、地表水浄化施設——様々な形の給水施設が、国内各地に急速に整備されていきました。
1億7000万人を超える人口を抱えるこの国で、安全な水へのアクセスを急いで広げることは、生死に関わる緊急課題でした。その意味で、支援の方向性そのものは正しかった。しかしその「急ぎ」が、長期的に深刻な問題の種を撒くことになりました。
2. 支援の「影」——放置される施設と止まらない新設
プロジェクトで現地に入り、最初に直面した問題は「施設の全体像が誰にも分からない」という現実でした。
数十年にわたって各ドナーが個別に整備してきた給水施設は、国内のあちこちに点在しています。政府の台帳に載っていないものも多く、また公式なプロジェクトで作られていないものもあり、どこに何があり、それが今も稼働しているのかをバングラデシュ政府はもちろんドナーを含むあらゆる機関で把握できていませんでした。1億人を超える住民に対し、乱立する点給水施設の総数さえ、だれも正確に把握できていませんでした。
把握できないものは管理できません。管理されない施設は、使われないまま朽ちていく。
現場で繰り返し見た光景があります。故障した施設の少し先に、新しい施設が建設されている。修理せず、「壊れているから」という理由でドナーが新設を判断する。新しい施設ができてしばらくは使われますが、また故障する。直す人員も予算も仕組みもない。また放置される。また新設される——このループが、延々と続いていました。
当事者であるDPHEの職員たちが怠慢なのかというと、そうではありません。新設プロジェクトには膨大な手続きが伴います。調査票の作成、予算の確保、地元の水委員会での話し合い、設計書の作成、入札手続き、工事監理、竣工検査、報告書の作成——一つのプロジェクトをこなすだけで、職員の大部分の業務時間が消える。「既存施設を維持管理する」ための人員も時間も、構造的に確保されないのです。
ドナー側も疲弊していました。「現地の維持管理能力が低い」という指摘を繰り返しながら、次の新設プロジェクトを承認する。この矛盾の中で、誰もが「分かっているが止められない」という状況に陥っていました。
このプロジェクトで私が担った技術移転の核心は、この連鎖を断ち切るための「アセットマネジメント(施設資産管理)」の考え方を現地に根付かせることでした。施設を作るだけでなく、作った施設を長く使い続けるために管理する——この当たり前を、制度として組み込む試みです。
3. 日本が直面する「見えない更新のループ」
その後、帰国して日本の現場に戻ったとき、私は奇妙な既視感を覚えました。
形は異なりますが、日本の水道も「更新のループ」に囚われています。バングラデシュのそれが「新設→放置→新設」という可視化しやすい連鎖であるのに対し、日本のそれは計画的な「定期更新」という形を取っているため、問題として意識されにくい。しかしその本質は、「壊れることを前提に作られたシステムを維持し続けることへの膨大なコストと人材の投入」という点で、同じ構造を持っています。
急速ろ過方式の浄水場を例にとると、その維持管理スケジュールは以下のようになります。4〜5年ごとにポンプとブロワーの分解点検・修理が必要です。10年単位では撹拌機の整備が発生します。そして30年前後で、施設全体の全面更新が繰り返されます。もちろんその他多数の設備の整備が行われます。
これらの工事を「こなすだけ」ならまだいい。しかし現実には、一つの工事を発注するためだけに、現状調査、必要性の整理、予算要求、仕様書の作成、業者選定(入札手続き)、施工監理、竣工検査、報告書作成——という一連のプロセスが必要です。
この「事務コスト」が、日本の水道に携わる人材の相当部分を占有しています。自治体の水道担当職員は、維持更新の手続き業務に追われ、「100年後の水道をどう設計するか」を考える時間を持てない。設計コンサルタントも、個別の更新工事の設計積算に追われ続けます。
バングラデシュで目撃した「事務に追われて本質的な管理ができない」という構造が、人口減少に伴う人材不足が本当に深刻に叫ばれている日本でも継続し続けています。違いは、日本の場合は計画的に行われているため、またそれが当然であるかのように関係者がふるまうために「問題」として可視化されにくいという点です。
4. 更新周期を3倍に伸ばす「緩速ろ過」へのパラダイムシフト
ここで問いを立てます。
もし浄水場の大規模更新周期を30年から、90〜100年に延ばすことができたとしたら、何が変わるでしょうか。
単純計算で、更新工事に関連する事務・設計・工事監理の業務量が3分の1以下になります。現在その業務に投入されている職員の時間と、コンサルタントの工数が解放される。その人材を、日本の水道インフラが直面している最も緊急の課題——老朽管の更新計画、データ整備、広域連携の設計——に振り向けることができます。
緩速ろ過方式は、この「長寿命・低更新」という性質を最も高い水準で体現できる浄水技術です。
大型の機械駆動部を持たないため、定期的な分解整備の対象となる設備がほとんどありません。撹拌機も大型ポンプも汚泥掻き寄せ機もない。壊れる部品が少なければ、修理と更新の頻度は構造的に下がります。適切に管理されれば、急速ろ過方式が30年で全面更新を迎えるサイクルを、大幅に延長することが現実的に可能です。
もちろん緩速ろ過が万能ではないので、それが適さない状況や地域もあるでしょう。しかし、実はどちらでもよい地域も確かにあるはずで、そういうところから転換していく。
バングラデシュでの経験から学んだ最大の教訓は、「長持ちする設備を選ぶことが、維持管理能力の乏しい環境での最良の戦略である」ということでした。現地の技術者が少なく、維持管理の予算も限られている中で確実に機能し続けるシステムを設計することが、技術移転の本質でした。
日本の現状——技術者の減少、予算の逼迫、事務コストの増大——は、かつてのバングラデシュと異なるように見えて、根本的な構造は同じように感じています。
人材不足にコスト高で水道料金の高騰が危惧されている日本において、「持続できる技術を選ぶ」という発想の転換が、日本の水道にも今まさに必要とされていると考えます。
5. 建設から「持続」へ。日本が今、選ぶべき道
バングラデシュで見た「壊れては作る」連鎖の悲劇は、技術や予算の問題以前に、「作り続けることに追われて、持続させることを考える余裕がない」という構造の問題でした。
日本の水道が今後直面する人材不足の本質も、同じ構造にあります。工事を発注し、監理し、報告書を書くという業務に追われ続ける限り、水道インフラの未来を構想し設計する人材は永遠に確保できない。
解決策の方向性は、バングラデシュへの教訓と同じです。更新頻度を下げる設備を選ぶこと。そのために、浄水プロセスそのものを見直すこと。
急速ろ過という高コスト・高更新頻度のシステムから、緩速ろ過という低コスト・長寿命のシステムへの段階的な移行。その選択が積み重なることで、日本の水道に携わる人材が、本来向かうべき課題に向き合える時間をきっと作り出せると信じています。
