1. 急速ろ過が築いた「成功体験」とその終焉
急速ろ過は、20世紀の水道史における最大の功績の一つです。
凝集剤を投入してフロックを形成し、沈殿・ろ過によって高濁度の原水を短時間で透明にする。どんな濁りにも対応できる処理能力と、大量の水を効率よく供給できるスケールメリット。戦後の高度経済成長と急速な都市化を水の面で支えたのは、間違いなくこの技術でした。
しかし、急速ろ過が「成功」したのには、一つの大きな前提条件がありました。
「人口が増え続け、水道料金収入が右肩上がりである」ことです。
薬品費・動力費・汚泥処理費・設備更新費といった重厚なランニングコストを、増え続ける利用者で薄めることができた時代だからこそ、このインフラモデルは成立していました。いわば、急速ろ過は「人口増加という追い風」の上に乗っていた技術体系だったのです。
その前提が、今、完全に崩れています。
2. 小規模分散型水道に立ち塞がる「4つのコスト壁」
人口が減少し、水道事業の規模が縮小していく中で、急速ろ過のコスト構造は牙を剥き始めます。
① 膨張するランニングコスト
急速ろ過に必要な費用は、薬品代・電気代・汚泥処理費の三本柱です。凝集剤(PAC:ポリ塩化アルミニウム等)の購入費、ポンプ類の動力費、そしてろ過工程で発生する汚泥を産業廃棄物として処理するコスト。これらは、処理水量にある程度比例しますが、施設の固定費部分は規模に関わらず発生します。
ここに「小規模化の罠」があります。給水人口が1万人の施設と1,000人の施設では、1人あたりの固定費負担が文字通り桁違いになります。人口が半減すれば、同じコストを半分の人数で割ることになる。水道料金を大幅に値上げするか、施設の維持を諦めるか――その二択が、じわじわと迫ってきます。
② 終わりなき更新・修繕費
急速ろ過システムには、多くの機械設備が伴います。ポンプ、撹拌機、凝集剤注入装置、沈殿池のスラッジ収集機構、逆洗設備……。これらは数年ごとのオーバーホールと、30年前後での全面更新が必要です。
大規模事業体であれば、この更新費用を長期的な減価償却の中に組み込み、計画的に積み立てることができます。しかし、財政規模が小さく、将来の料金収入にも不確実性が高い小規模自治体にとって、この「30年後の巨額更新費」の積み立ては、現実的に極めて困難です。
「今は動いているから大丈夫」という状況が続く一方で、更新費用の積み立て不足が膨らんでいく。気がついたときには、修繕も更新もできない「老朽施設の延命」という最悪の状態に陥っているケースが、全国各地で現実化しています。
3. 決定的な「人的リソース」の欠乏
コストの問題と同等に、あるいはそれ以上に深刻なのが、人の問題です。
「ジャーテスト」という現場の重圧
急速ろ過の日常管理において、外すことのできない作業が「ジャーテスト」です。原水の濁度・水温・pHなどの変化に応じて、凝集剤の最適注入量をその都度確認するこの試験は、特に大雨の後など原水水質が急変するタイミングでは、一日に何度も実施しなければなりません。
大雨が降れば、夜中であっても現場に急行し、試験を行い、注入量を調整する。それが、急速ろ過を運用する施設の現実です。
この管理を、誰が担うのか。
管理体制の限界
過疎が進む地域では、水道担当の職員が1〜2名、あるいは兼務という状況が珍しくありません。急速ろ過システムの適切な運用には、最低でも2〜3日に一度の定期訪問と、異常時の即応体制が求められます。高度処理機器の複雑なメンテナンスには、専門的な技術知識も必要です。
若者が去り、職員数が減り続ける地域で、この管理体制を今後10年・20年にわたって維持できると、現実的に言えるでしょうか。管理ができなくなった施設は、やがて水質基準を満たせなくなります。その先にあるのは、給水停止という、地域の命取りになりかねない事態です。
4. 水道原価の「逆転現象」
ここで、一つのシミュレーションを考えてみてください。
現在、給水人口3,000人の集落に急速ろ過システムがあるとします。年間の維持管理コスト(薬品費・電気代・汚泥処理・人件費・修繕費積み立て)を合計すると、仮に3,000万円だとします。この時点での1人あたりコストは年間1万円です。
20年後、人口が半減して1,500人になったとします。コストは多少下がるかもしれませんが、固定費の塊である急速ろ過システムのコストは、それほど大きく減りません。仮に2,500万円まで下がったとしても、1人あたりコストは約1万7,000円に跳ね上がります。
水道料金は、その逆転現象を住民に転嫁するか、自治体が赤字補填し続けるか、どちらかを選ぶしかなくなります。
急速ろ過を小規模水道に適用し続けるということは、将来の住民に「払い続けられない水道料金」を押し付けることと、実質的に等しいのです。
5. 浄水法を「時代に合わせてアップデート」する勇気
今、小規模水道に本当に必要なのは、「高度な機械」ではありません。
「手がかからず、壊れにくく、人が減っても動き続ける」仕組みへのパラダイムシフトです。
急速ろ過は優れた技術です。しかし、その優秀さが発揮されるのは、十分な人員と財政が確保された、一定規模以上の事業体においてです。小規模・過疎地域の水道に、都市型インフラの設計論をそのまま持ち込むことは、技術の誤用と言わざるを得ません。
コストと人の問題を根本から解決する「次世代の小規模水道」のあり方――緩速ろ過、膜ろ過、あるいはそれらのハイブリッドという選択肢を含めた真剣な議論を、今すぐ始めるべき時が来ています。
30年後の住民に、「この水道を選んでくれてよかった」と言ってもらえる設計を。そのために、私たちは今、選択を問い直す勇気を持たなければなりません。
