1. ブルーハーツと「水処理」の共通点
「人にやさしく」——私も好きなブルーハーツの名曲のタイトルが、ふと頭に浮かぶことがある。水処理の現場で、微生物の状態を確認しているときだ。
私が心がけていることを一言で表すなら、「微生物にやさしく」になる。
緩速ろ過や上向流粗ろ過は、ポンプや撹拌機などの機械装置が主役の装置ではない。砂や砂利の表面に育つ微生物群こそが、この技術の主役だ。その微生物が有機物を分解し、鉄やマンガンを固着し、窒素化合物を処理する。人間が設計するのは彼らの「住処」や「舞台」であって、実際の仕事は微生物がやっている。
つまり、緩速ろ過や粗ろ過は「生き物」だ。装置を管理するのではなく、生き物を管理するという認識が、この技術を正しく運用するための出発点になる。
生き物には、嫌がることがある。それを理解せずに管理すれば、どれだけ優れた設備でも、水質は安定しない。
2. 微生物が嫌がること(NGリスト)
化学的ショック
最も分かりやすいNGは、次亜塩素酸ナトリウムの直接接触だ。水道の殺菌に使われるこの物質は、微生物を殺すために存在する。当然、ろ過層内の微生物にとっても致命的な打撃になる。緩速ろ過の原水側や粗ろ過の流入ラインへの直接添加は絶対に避けなければならない。
凝集剤(PAC等)も同様だ。急速ろ過の前処理として使われるこれらの薬剤は、微生物の活性を阻害する。粗ろ過・緩速ろ過と急速ろ過を組み合わせた設計では、薬剤投入点の位置関係に細心の注意が必要になる。
「どうしても薬品処理が必要な場面はないのか」という問いに対しては、選択肢がないわけではない。生分解性に優れた天然由来の凝集助剤など、微生物への影響を最小化するよう設計された製品が存在する。ただし製品ごとに特性が異なり、対象水質との相性もある。SANAなどの専門メーカーの担当者に相談しながら、試験的な検証を経て採用することを強く推奨する。
物理的ショック
化学的なショックと並んで、物理的なショックも微生物を傷める。
水量の急激な変化は、生物にとってはおおきなショックの1つだ。水温の急変は、微生物の代謝活性に直接影響する。変温動物と同様に、微生物は温度変化に敏感だ。
さらに砂利や砂を「かき混ぜる」という行為は、生物膜が丁寧に形成した構造を一瞬で破壊する。清掃や点検以外に、不用意にろ材を過度に撹拌することは、微生物への暴力に等しい。
3. 顕微鏡越しのドラマ:ツリガネムシの決断
汚水処理の現場で働いていた頃、顕微鏡を覗くことが習慣になっていた。処理水の水質を確認するために、サンプルを採取して微生物の状態を観察する。
活性汚泥の中に、ツリガネムシという原生動物がいる。柄の先に釣鐘状の体を持つ、美しい形をした生き物で、基質(定着している場所)にしっかりと根を張り、そこで暮らす「定着性」の微生物だ。

通常、ツリガネムシは柄を伸ばして水流の中のバクテリアを捕食しながら、静かにそこに居続ける。しかし、何らかのストレスを受けると——水質の急変、薬品の流入、物理的な衝撃——柄を自ら切断する。
自ら足を切って、住み慣れた場所を捨てる。
この瞬間、ツリガネムシは「遊走子」と呼ばれる遊泳形態に変化し、新しい定着場所を求めて水流の中を漂い始める。顕微鏡で見ると、それまでじっとしていたツリガネムシが突然、体を丸めて泳ぎ出す。何かがおかしい、逃げなければ、という彼らなりのSOSだ。
この光景を初めて見たとき、単なる微生物の観察ではなく、切実な生存の判断を目撃したという感覚があった。
4. 緩速ろ過における「逃走」の代償
汚水処理でツリガネムシの遊走子を見たときの記憶が、緩速ろ過の管理に直接繋がっている。
緩速ろ過の砂層内でも、同様のメカニズムが働く。砂粒の表面に形成された生物膜を構成する微生物たちは、急激な変化に直面したとき、定着を放棄して遊走状態へと移行する可能性がある。
遊走子化した微生物は、水流に乗って処理水側へと流出する。水質検査で「一般細菌が増加した」「濁度が上昇した」というデータとして現れるとき、その原因の一つがこの「微生物の逃走劇」であることがある。
装置が壊れているわけではない。原水水質が急変したわけでもない。しかし、管理の仕方に「やさしくない」瞬間があった——それだけで、ろ過層の中では小さな崩壊が起きている。この見えないメカニズムを知っているかどうかが、水質トラブルの原因究明において決定的な差を生む。
5. 「3」の数字が守る命の均衡
では、具体的に「やさしい管理」とはどういうものか。私が以前の、水処理の先生から叩き込まれた大切にしている数字がある。
水温変化:3℃以内
1日当たりの流入水温の変化を3℃以内に抑える。急激な温度変化は微生物の代謝を乱し、活性の低下や遊走子化を引き起こす。季節の変わり目や、水源が変わる場合には特に注意が必要だ。
水量変化:3%以内
流入水量の変化を急激に行わず、段階的に調整する。目安として、一度の操作での変化を全体流量の3%以内に抑えることで、生物膜へのせん断ストレスを最小化できる。特に長期停止後の再稼働時には、ゆっくりと水量を上げていく忍耐が求められる。
この「3℃・3%」という数字は、絶対的な規則ではなく目安だ。しかし、これを意識するかしないかで、日常管理の「やさしさ」が変わる。微生物にとって居心地の良い環境を、できる限り安定して保つこと——この繊細な配慮こそが、技術者の腕の見せ所だと私は思っている。
6. 微生物への敬意が、人の命を救う
ツリガネムシが足を切る瞬間を顕微鏡で見て以来、私は微生物を「管理の対象」ではなく「共に働くパートナー」として見るようになった。
彼らが快適に働ける環境を整えることが、結果として安全で美味しい水を届けることに繋がる。「微生物にやさしい管理」は、抽象的な配慮ではなく、水質という具体的なアウトプットに直結している。
薬品に頼らず、機械に頼らず、自然の力を借りて水を磨くこの技術は、管理者の「やさしさ」によって初めて本来の力を発揮する。彼らの声なき声に耳を傾け続けることが、この仕事の本質だと思っている。
