1. 1.7億人の「奇跡」の裏側に潜んでいたもの
バングラデシュは人口1.7億人を抱える国だ。
その水道事情を変えようと、1960年代後半からドナー主導で家庭レベルの浅井戸開発が始まり、1970〜90年代にかけて爆発的な普及を遂げた。安全な水へのアクセス率は劇的に向上し、国際社会からは「奇跡」とまで称賛された。
その後、地下水からのヒ素汚染という深刻な問題が露呈するが、私が過去に携わったバングラデシュでのJICAプロジェクト期間中に問題視したのは、
当時のドナーによる家庭レベルの浅井戸開発スキーム自体が、奇跡でもなんでもなく、むしろ悲劇の始まりだった。
ということだった。バングラデシュの水道事情を深く理解するほど、そう確信せざるを得ない。最初の設計に、すでに「持続不可能性」という爆弾が仕込まれていたからだ。
2. 管理不能な「数」という暴力
バングラデシュの農村部・地方都市の水道を担うのは、DPHE(公共衛生工学局)と呼ばれる国の機関だ。
DPHEはドナー支援のもと、上述の浅井戸開発を牽引してきた。安全な水へのアクセス率が伸びたのは事実だが、それは同時に、億に近い数の井戸が掘削され、ハンドポンプが取り付けられ、管理対象として積み重なっていったことを意味する。
仮に「村に1基」というレベルであれば、施設の数や状態管理はまだ現実的だったかもしれない。しかし「各家庭に1基」というスケールで展開されてしまった結果、誰も管理できない状況が生まれた。
現場にいるDPHEの技術者は限られている。当時の試算では、全施設を維持するためには、技術者一人が毎日約100か所を点検・修理し続けなければならない計算になった。
物理的に不可能な数字だ。
管理のキャパシティを無視したまま「点」を増やし続けることは、インフラを整備しているのではなく、放置されるゴミを量産しているに等しい。普及率という数字の裏で、こうした現実が静かに積み重なっていた。
3. 地形と人口密度が示す「最適解」の無視
見過ごせないのは、さらにバングラデシュという国が「配管給水に非常に向いた条件」を元々備えていたという点だ。
一つ目は、人口密度の高さ。 バングラデシュは世界屈指の人口密度を誇る国だ。家屋が密集した集落に個別の井戸を掘るより、1か所の水源を開発し、その後、配管で水を配った方が、コストでも効率でも圧倒的に有利になる。
二つ目は、国土の平坦さ。 東部のチッタゴン丘陵地帯を除けば、国土のほぼ全域が標高20m以内に収まる超低平地だ。これは設計者にとって、非常に恵まれた条件を意味する。高架水槽を一基設置すれば、重力だけで広範囲に水を届けられる。追加のポンプコストも最小限で済む。配管給水にとって、これほど好条件な地形はそう多くない。
当時のドナーが「一家に一本の井戸」という目先のアクセス数を追うのではなく、この地形と人口密度を活かした配管給水を選択していたら、どうなっていただろうか。その後ヒ素問題が露呈したとしても、汚染源の特定も対応も、集中管理の中で格段にやりやすかったはずだ。
当時、各家庭レベルで井戸を設置し始めた時に失われたのは、効率だけではない。
当時のドナーの開発方針は、国の水道に対する対応力そのものが失われる未来につながっていた。
4. 日本への教訓――「分散型」の定義を間違えるな
現在、日本でも人口減少・老朽化対策として「分散型水道」の議論が活発になっている。そこで私たちが強く懸念するのが、「分散=個別給水の推進」という短絡的な図式だ。
バングラデシュが証明したのは、現地の状況を無視した個別給水の大量展開は、「管理しきれない分散」を生み出すだけだということだ。分散型が機能するのは、それが適切な場所に、適切なスケールで導入されるときだけだ。
真の最適配置に必要な問いはシンプルだ。
- その地域の人口密度はどれほどか
- 地形は集中管理に向いているか、分散が合理的か
- 維持管理を担う人材・予算・組織は現実的に確保できるか
この三つを掛け合わせた「最適解」を導き出すことが、設計者と政策立案者の本来の責務だ。
5. 技術者は「数字」ではなく「30年後の現場」を見よ
普及率というKPIは分かりやすい。数字は成果として可視化されやすく、ドナーにとっても、政府にとっても、報告しやすい指標だ。
しかしその数字の陰で、維持管理という現実は後回しにされ続けた。バングラデシュの事例は、その構造的なツケがどれほどの規模の混乱をもたらすかを、世界に示したと思っている。
水未来研究所は、この教訓を日本の文脈で繰り返させないために提言し続ける。
計画の段階で「30年後、誰がこれを管理しているか」を問い続けること。それが、インフラに関わるすべての人間に求められる、最も根本的な視点だと考えている。
