以前、私は海外の途上国で、水道のない地域に対して水道施設を整備したり、その国の水道計画を立てたりする仕事をしていました。
その仕事を始めて1〜2年目の頃、アフリカのスーダンを訪れたときのことです。
地方の調査で田舎を回っている途中、1台の古いトラックが目に入りました。
メーカーは確かトヨタ。けれども、まるで古い映画に出てくるような、顔が長く、武骨でごつごつとしたトラックでした。
「トヨタもこんな車を作っていたのか」と思わず見入っていると、近くで談笑していた現地の中年の男性が声をかけてきました。
「チナ? チナ?(中国人か?)」と、少しからかうように言ってきたので、「いや、日本人だ」と答えると、
彼らの表情が一変し、満面の笑みで「日本は最高だ!」と声をあげました。
彼らは続けてこう言いました。
「そのトラック、何十年も前に作られたのに、いまでもほとんど故障しないんだ。少し部品を交換するくらいで、ずっと現役だよ。
一方で、あそこの発電機は中国製。タダでもらったのに、1週間で壊れた。やっぱり日本はすごい。本当にすごい。」
私は日本人として誇らしく感じると同時に、複雑な気持ちにもなりました。
そのトラックはどう見ても40〜50年前の製品です。つまり、今の私たちの世代ではなく、
前の世代の日本人が作ったものが、遠く離れたスーダンの地で今も動き続け、人々に愛されているのです。
当時の日本は今よりもずっと貧しく、設備も整っていなかったはずです。
それでも「絶対にいいものを作る」という執念と、ひたむきさで、世界に誇れる品質を生み出した。
私はその姿勢に深く心を打たれました。
そして思いました。
――自分は、同じように誇れるものを残せるだろうか。
日本人として、先代に恥じない仕事を、後世に残せるだろうか。
当時の私は、水処理の経験は少しあったものの、水道技術はまだ未熟でした。
それでも、「絶対にいいものを残す」「数十年後にも笑顔で使ってもらえる施設をつくる」
という想いだけは、強く胸に刻みました。
水道という仕事は、一度つくると何十年も地域を支えるものです。
まずは30年、そして50年、80年と使い続けられ、
将来の日本人に誇れる、愛される水道施設を残したい――
今もその気持ちは変わらず持ち続けています。