はじめに
日本の水道の主要な課題の1つにフミン質による水の着色問題がありあます。オゾンや塩素注入、活性炭によって処理が可能なことはわかっていますが、副生成物を出さずに、安価に安定してとなると、なかなか難しい問題です。今回はこのフミン質が生み出される背景と、自然界ではどのように分解除去されているのか、それを水処理としてどう活用すればよいのかという視点でこのフミン質について注目し見たいと思います。
森の落ち葉は、なぜ海を茶色に染めないのか?――自然界に存在する巨大な「緩速ろ過システム」
日本は、実は森の国である
日本の国土の約7割は森林です。山に登れば木々が連なり、平地に出れば川が流れ、その川は山から海へと水を運んでいます。
日本の特徴は、雨が多く、山地が多く、河川が短くて急流であるという点にあります。山に降った雨が、短い距離を一気に駆け下りて海へと注ぎ込む。そのイメージからすると、水は森林の中をほとんど素通りして流れ去っているように思えるかもしれません。
しかし実際には、雨水は森の中でゆっくりと時間をかけた旅をしています。地表に降り注いだ雨水は、まず落ち葉の層を通り抜けます。次に腐葉土の層を浸透し、土壌粒子の間を通り、無数の微生物が暮らす世界をくぐり抜けながら、少しずつ地下へと染み込んでいきます。
森林は単なる「木が生えている場所」ではありません。水と物質が複雑に循環する、巨大なシステムです。
森には大量の有機物が存在する
ここで一つの疑問が生まれます。
森林には、毎年大量の落ち葉が降り積もります。落ち葉には炭素、窒素、ミネラル、そして様々な植物由来の有機物が豊富に含まれています。これらは微生物、菌類、小動物、昆虫などによって分解されていきますが、それでも膨大な量が積み重なっています。
その有機物は、雨が降るたびに少しずつ水に溶け出し、土壌を通って川へと流れ込んでいるはずです。
では、なぜ川は茶色くないのでしょうか。なぜ海は有機物で濁らないのでしょうか。
落ち葉から生まれる「フミン質」とは何か
この疑問を考えるうえで、まず「フミン質」という物質を理解しておく必要があります。
植物の葉や枝に含まれる有機物は、分解される速度がそれぞれ違います。糖類やタンパク質は比較的速やかに微生物によって利用され、二酸化炭素や水になっていきます。
しかし、リグニン(植物の細胞壁を構成する成分)由来の物質や芳香族化合物など、分解されにくい成分もあります。これらが長い時間をかけて複雑に変化したものが、腐植物質、いわゆる「フミン質」です。
フミン質は黄褐色から茶褐色をしており、水に溶けると水を着色させる性質を持っています。「フミン質が水に入ると水が茶色くなる」ということは、化学的な事実です。
ただしここで大切なのは、「フミン質=汚れ」ではないという点です。フミン質は森林の炭素循環において重要な役割を担い、土壌の形成を助け、微生物の活動を支える自然由来の物質です。人間が生活の中で排出する汚染物質とは、本質的に異なります。
では、なぜ川や海は茶色にならないのか?
普通に考えれば、こういう流れになりそうです。
森林に大量の落ち葉が積もる → フミン質が生まれる → 雨が降るたびに川へ流れ込む → 海が茶色くなる。
しかし現実には、森林の多い地域の川は透明で清らかなことが多く、その先の海も豊かで美しい生態系を持っています。
この一見矛盾するように見える現実の背景には、自然界が何億年もかけて作り上げた、複数の巧みな仕組みが働いています。
第一の仕組み:森林土壌による吸着
雨水が森林の土壌を通過するとき、フミン質の多くは外へ流れ出ません。
土壌に含まれる粘土鉱物、鉄やアルミニウムの酸化物、土壌粒子の表面は、フミン質を強力に吸着する性質を持っています。フミン質の多くは、土壌の中に捕捉され、そこに留まり続けます。
つまり森林土壌は、「落ち葉から生まれた有機物を、そのまま川へ流し出さない貯蔵庫」として機能しているのです。
この仕組みは、私たちが水処理で利用している緩速ろ過と深い共通点を持っています。緩速ろ過では、砂の層を水がゆっくり通過する際に、砂粒の表面への吸着と、微生物の生物膜による分解が起こります。森林土壌でも、まったく同じ原理が、はるかに大きなスケールで働いているのです。
第二の仕組み:微生物によるゆっくりした分解
土壌に残ったフミン質や、わずかに川へ流れ出た有機物は、細菌、真菌、様々な微生物群集によって少しずつ利用されていきます。
自然界の分解は、「一気に処理する」という発想ではありません。非常に長い時間をかけて、少しずつ、段階的に循環させるという仕組みです。
ある微生物が分解できなかった物質を、別の微生物が利用する。その結果生まれた物質をまた別の生き物が使う。こうした連鎖が、森から川、川から海へと続いています。
緩速ろ過の砂層表面に育つ生物膜(シュムッツデッケ)が有機物を分解するのと、根本的に同じ考え方です。時間をかけて、微生物の力を借りて、自然に浄化する。人類が発明した緩速ろ過は、この自然の仕組みを小さくコンパクトに再現したものとも言えます。
第三の仕組み:河川で起こる光分解
森林土壌をくぐり抜け、川へと流れ出たフミン質の一部は、今度は太陽の光にさらされます。
フミン質は紫外線を強く吸収する性質を持っています。紫外線を吸収したフミン質は、大きな有機分子から小さな有機分子へと分解されていきます。小さくなった有機分子は、微生物が利用しやすい形に変わり、最終的には二酸化炭素として大気中に放出されます。
川の水面は、ただ水が流れている場所ではありません。太陽光という強力なエネルギーを受けて、有機物を変化させ続ける化学反応の場でもあります。
第四の仕組み:河口で起こるフロック形成
川が海に注ぎ込む河口域では、淡水と海水が混じり合います。この環境の変化が、フミン質の運命をさらに変えます。
淡水中に溶けていたフミン質は、海水に含まれる金属イオン(カルシウム、マグネシウムなど)と出会うと、化学的な変化を起こします。溶けていた有機物の一部が微粒子化し、凝集して「フロック」と呼ばれる塊になります。このフロックは水中を漂うことなく沈降し、河口域や沿岸域の海底に堆積します。
溶けていた有機物が、固体の堆積物として海底に移動する。これもまた、自然界が有機物を「水の中から取り除く」一つの仕組みです。水処理で行う凝集沈殿操作と、本質的に同じ現象が、河口という自然の場所で起きているのです。
自然界の有機物循環を研究するDOM・CDOM・DOC
こうした自然界における有機物の動きは、現代の科学でも活発に研究されています。
水に溶けた有機物全体は「DOM(Dissolved Organic Matter:溶存有機物)」として研究されています。その中でも色を持った有機物は「CDOM(Colored Dissolved Organic Matter:着色溶存有機物)」として、光学的な方法で測定・追跡されています。炭素循環の視点では「DOC(Dissolved Organic Carbon:溶存有機炭素)」として、水と炭素の関係が研究されています。
これらの研究により、森林から川、川から海、そして大気へという有機物の旅が、地球規模の炭素循環の中で重要な役割を果たしていることが明らかになってきています。
まとめ:森は巨大な緩速ろ過装置である
一見単純に見えた疑問--「森の落ち葉はなぜ海を茶色にしないのか」--の答えは、いくつもの仕組みが重なり合った結果でした。
土壌が吸着し、微生物がゆっくりと分解し、川面で光分解が進み、河口で凝集沈殿が起きる。これらが連動することで、森林で生まれた有機物は海へそのまま流れ込むことなく、自然界の中で変化しながら循環していきます。
そしてこれらの仕組みを一つ一つ見ていくと、私たちが水処理で利用している緩速ろ過の考え方と、驚くほど多くの共通点があることに気づきます。砂層による吸着、微生物の生物膜による分解、時間をかけてゆっくり処理するという設計思想。緩速ろ過は、森林と土壌と河川が何億年もかけて作り上げた自然のシステムを、人間がコンパクトに再現したものとも言えます。
森林は「水をきれいにしてくれる場所」というだけではありません。より正確には、森林土壌、微生物、河川、河口、海洋が一体となり、有機物を捕らえ、変化させ、分解し、循環させる巨大なシステムです。
自然界は、私たちが思う以上に精巧な浄化の仕組みを持っています。そしてその仕組みを理解することが、これからの水処理技術を考えるうえでも、大切な出発点になるのではないでしょうか。
【2. 専門知の共有:中本名誉教授の視点】
水道公論 2024年1月号(第60巻第1号)pp.70-81, 信州大学名誉教授 中本信忠
「生物屋の緩速ろ過池研究 その28:『上田市水道の省エネへの努力』」
薬も電気も使わない、上田市水道の省エネ実践
(1) 名前が生んだ、もうひとつの誤解
急速ろ過は凝集剤を使う薬品処理のため、大量の汚泥が発生します。緩速ろ過も同じ「ろ過」という言葉でくくられたことで、いつしか同じ発想が持ち込まれ、「緩速砂ろ過」という名前だけが独り歩きしてしまいました。実際には浄水濁度の基準そのものが急速ろ過の水に合わせて定められており、緩速ろ過が本来持つ強みが見えにくくなっていたといいます。凝集剤を使わない浄水処理であれば、給水管の内側にスケールが付着することもありません。かつての暗渠水路が汚れていなかったように、濁りのない伏流水を取水できれば、ろ過池だけで十分な浄水が可能でした。
(2) 薬剤が奪った、生物の力
戦後まもない頃、上田市の周囲はまだ水田が広がっていました。河川の表流水は雨で濁るため、凝集剤や殺藻剤が使われるようになります。急速ろ過では藻が嫌われましたが、その考え方をそのまま緩速ろ過に当てはめてしまったことが、大きな誤りだったと中本先生は振り返ります。実際には、殺藻剤の使用をやめたところ、藻が大繁殖しても水道水はかえっておいしくなり、凝集剤を加えなくても沈殿後の濁度は十分に小さいままでした。凝集剤を添加すると砂の表面が白い粉で覆われてしまいますが、添加しなければ砂層は汚れず、ふわふわとした状態を保ちます。群馬県高崎市の浄水場では明治の頃から凝集剤を使っておらず、この事例を踏まえて上田市でも2022年、ようやく原水を直接ろ過池に入れる実験が行われました。
(3) 電気を使わない選択、使ってしまった選択
上田市は神川から取水し、自然流下で浄水場まで水を送っています。水位差を利用した発電まで行っているほどです。しかし千曲川の水利権があるにもかかわらず、長らくそれを活用せず、電気を使って揚水せざるを得なかった時期もありました。動力を使わずに済む自然流下の仕組みが手元にありながら、十分に生かしきれていなかったのです。染屋浄水場の浄化能力を計算すると、実際の給水人口の倍近い余力があることが分かりました。この余力に着目した長野県企業局は、県内向けに緩速ろ過の研修会を開催し、日本水道新聞でも取り上げられるまでになりました。
(4) 余った力を、まちの外へ
染屋の浄化能力に余裕があることが分かると、上田市はその力を自分たちだけで抱え込まず、県営水道の給水地区へも供給できないかと広報を通じて呼びかけました。凝集剤も、逆洗のための動力も、余分な薬品もいらない緩速ろ過だからこそ、生まれた余力を無理なく地域に還元できます。生物が水を浄化するのは砂面近くのわずかな層だけで、水がそこを通過するのはわずか数分。この瞬間浄化の仕組みが、機械にも薬品にも動力にも頼らない水道を可能にしています。厚生労働省が示すモデル案には見直すべき点が残っていると中本先生は指摘しつつ、上田市の実践が、薬も電気も使わずに水と地域を支える一つの答えを示しています。
【3. Q&A 現場の悩み相談】
緩速ろ過は安価ですがメンテが時々重労働が必要と聞きました。高齢者ばかりなので、メンテの負荷が低い井戸水で集落水道を整備してほしいのですが。
地下水は条件が揃えばメンテナンスはほとんど不要の水道となります。一方、条件が合わなければ水処理設備が必要となり、それなりにメンテナンスをきちんとする必要があります。一方、緩速ろ過は粗ろ過という技術を組み合わせることによって、メンテナンスの負荷が下がりましたので、一概に地下水のほうが楽とは言えません。水質や集落の状況もみて、総合的に判断する必要があるかと思います。
【4. 編集後記】
最近、来年の横浜で開催されるグリーンEXPOで、庭園・公園の池水浄化を粗ろ過x緩速ろ過で、という催しができたらと、企画書を作成しています。書類審査だけらしいので通るかどうかがこの頑張りにかかっているわけですが、水道以外でも広く粗ろ過x緩速ろ過の利用価値が認められたら良いなと思います。それが今後の世界的な水不足対策につながるとそれなりに真剣に思っています。
先週募集した大分の豊後高田市近くの鉄・マンガンを粗ろ過x緩速ろ過で浄化している現場見学(10月24日現場13時~)について、募集締め切り時期についてきちんと書いていなかったので、この案内と合わせて改めてきちんと記載します。現在受付中で10月10日までお待ちしています。当日10月24日は12時頃中津駅での待ち合わせとし、そこで私が車でピックアップすることを考えています。応募者多数の場合は考えます。
鉄マンガンを粗ろ過x緩速ろ過で処理する現場はなかなか見れないのでこの機会を活かして見に来られたら良いかなと思います。私はここ以外の現場を知りません。
他の参加予定者は所属するNPOから数名が参加予定です。